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タネへの想い

「国の礎は農にあり」創業のルーツは、戦後日本復興への思い

タネの画像

私たち松井農園のタネ作りのルーツは、先祖で明治期の篤農家(農業を営むかたわら、農法の研究も熱心に行なう人)・松井寅蔵にさかのぼります。
彼が『耕作日誌』に残した「タネ悪ければまかぬが良し」の言葉は、「優秀なタネが農業の出発点である」という真理を端的に表したものとして、我々の中に息づいています。

寅蔵の孫で、私の祖父にあたる松井帰一は軍人で、外地で終戦を迎えました。失意の中、長崎の佐世保に引き揚げ、そして奈良までの帰路で彼が目にしたものは、敗戦国たる日本の荒廃ぶりでした。広島の惨状は言うまでもなく、沿線の都市という都市が、瓦礫と化し、気力を失った人々はただただ呆然と立ち尽くすだけでした。

そんな国家の危機に彼は、残りの人生を「日本の復興」に捧げることを決意します。思案の末、家業の農業を礎に、「タネ」の仕事に興味を持ち、昭和27年に「松井農園」を創業。良質なタネの開発及び安定供給を通じ、食料の増産に貢献しようと考えたのです。なぜならば、先祖の寅蔵が言うように、「タネ」は農業の原点であるのに、戦中戦後の混乱でタネがバラバラになってしまっていたからです。
「食を支える農業は国の礎であり、農業の復興なくして、日本の復興はありえない」 軍人として国家存亡の一端を担った使命感と、松井家代々の篤農精神が、そうさせたのだと思います。

また彼は、率先して接ぎ木等の新たな野菜苗の生産技術を学び、地域の人たちに普及していきました。さらに民間で初となる「タネなしスイカ」の開発にも成功しました。高い志に燃える彼にとって、目先の儲けは問題ではありませんでした。同時に、地域社会の活性化が、ひいては国の発展につながるという思いがあったのでしょう。

「ものづくりの精神」こそ、松井のDNA

松井農園社長画像

そんな祖父や父の姿を、私は幼い頃から見て育ちました。生き物相手の商売で休日もなく、私は、家族と楽しく出かける友達を尻目に、当時は家業を恨んだことさえありました。「決して家業は継ぐまい」次第にそう心に強く思うようになり、長男でありながら、就職先は全く異なる銀行員の道を選びました。

その私に、家業の魅力に気づく転機が訪れます。それは、渉外担当となって大阪の市場の青果会社を担当した時でした。自己紹介のついでに、ふと自分の家業の話を社長にしたのです。すると開口一番、「おもろい奴、来よったなあ。タネは世界に打って出れる数少ない農業分野の産業やで。自分の品種(タネ)を作るなんて、めちゃくちゃおもろい仕事やで」と言われたのです。

農業分野の産業=衰退産業と単細胞のように決め込んでいた私にとって、その社長の一言は衝撃的でした。
「大きな組織に守られている今の自分は、一体何を作り出しているのだろう?作り出す喜び、創造する醍醐味を味わいたい」

そして思いだしたのです、学生時代にバックパッカーとして外国を旅した時も、必ず行く先々で青果市場を回り、すいかやメロンの写真を撮っては父に見せていた自分を。あんなに嫌いだった家業でも、知らず知らずのうちに染みついていたのです。

連綿と続く、タネへの情熱

松井農園専務画像

私は、メロン栽培のサポートのために全国各地の産地を訪れることがあります。そのたび感じさせられるのは、想像以上に深刻な地方の疲弊ぶりです。その中を懸命に頑張っている人たちと触れ合い、地域経済の活性化を心より願わずにおれません。

祖父は一粒のタネに、日本再興への情熱を注ぎました。私もまた祖父のように、疲弊した地域経済復興のため、この「感動メロン」のタネを通じ、地方に元気を与え、ひいてはメロンの再評価という難題に挑戦していきたいのです。
そしてその原動力は、百年以上前から連綿と続く、私たちのタネへの「想い」です。

私は「タネの力」を信じています。人々が郷土に誇りを持ち、笑顔があふれる日を夢見て。

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